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20周年のデイ銭湯。施浴の歴史と変遷について語ります。
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WEBサイトのリニューアルに合わせ、WEB版施浴のすゝめを全面改訂しました。冊子化した本篇以外を資料篇及び外篇とし、大幅に補筆しました。
daysento.iiyudana.net/zine.html

20周年記念事業の一環として刊行も考えていたのですが、昨今の事情もあり、とりあえずはWEBのなかでまとめていきたいと思っています。
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施浴とは貧しい人々や病に苦しむ人々に温浴を施すこと。佛教伝来からつづく社会的困窮者への入浴支援です。施浴についてあれこれつぶやきます。
浄福寺は赤門が有名ですけど、赤門でないほうの南門は1615年の中興以来の建築物です。その傍らに民家として使用されてきた建物があるのですが、浴室っぽいので住職に聞けば、やはり浴室。いつごろまで使われていたものかはわからないけど、薬草風呂であった聞いてますとのこと。薬草風呂といえば法華寺の浴室が有名ですけど、京都にも薬草風呂として伝わる風呂があったのは発見でした。

寛永5年(1628年)3月、新たに鐘を鋳造し、同年、方3間の鐘楼を建造した。また曽谷宗喝を施主として妙心寺浴室を模した桁行5間、梁間2間半の浴室を建立した。これら鐘楼・浴室と南門は笹屋町大火・西陣大火・天明の大火の災禍をいずれも免れた(『浄福寺事蹟』寛永5年条)。[1]

浄福寺釈迦堂は毎月25日が開帳日となっています。開浴日や施浴についてもわかりませんでしたけど、初期の明智風呂を知る上でも、大収穫でした。

注1 ^京焼,http://www.kagemarukun.fromc.jp/page006j.html (2018/9/25最終閲覧)
耆婆は古代インドの名医、扁鵲は古代中国の名医、耆婆扁鵲は名医の例えです。そのひとり耆婆(耆域)が衆僧の温浴を釈尊に求めたところ、釈尊は、温浴により衆僧は七病を除去し七福を得る、衆僧に温浴を施す者は清浄の福を得ると説いた経典なのですが、市立図書館にも府立図書館にもなかったものの國譯一切經の総目次で収録だけは確かめることができていました。
 花園大学の歴史博物館と図書館は同じ建物にあります。
 というわけで白隠さんの展観のあと、図書館に立ち寄り、國譯一切經撰述部の経集部十四に収められている標記「佛説溫室洗浴衆僧經」の完訳をやっと手に取ることができました。訳者の清水谷恭順さんの前書きによると、漢語訳には安世高訳と書かれているものの、仮託で、竺法護の可能性が高いがどちらにせよ2世紀ないし3世紀の古訳であるとされています。
 中原(シナ文化圏)への佛教の伝来は1世紀と考えられていますから、印度由来の経典と考えていいようです。
白隠禅師法要の最中の妙心寺に明智風呂を見に行きました。

 明智風呂とは、太嶺院密宗が明智光秀の菩提を弔うために創建した浴室、本能寺の変の5年後でもあり、当初は小規模なものでしたが、徳川の時代になると、家光の乳母となった春日局が開浴を知らせるの鐘を寄進建立します。春日局は斎藤ふくといい、父の斎藤利三は明智光秀の筆頭家老でしたが、本能寺の変ののち捕えられ六条河原で斬首されています。春日の局の死後の1656年、光秀縁故の寄進により現存の浴室に建て替えられました。
 当初の光秀命日の13日、月1回の開浴でしたが、その後、塔頭が増えたこともあり、4と9の付く日の開浴となり、重要文化財に指定された昭和2年まで使われていました。また施浴は、薪または薪代の寄進により、四九日以外の故人の命日などに行われ、不定期なものであったようです。
 屋外の井戸で汲まれた水は石樋で屋内の水槽に給水されます。水槽の向かいに鉄湯釜が2基並びますが、1基は室下の鉄湯釜の給湯用、もう1基は上がり湯用として使われていたようです。鉄湯釜は室の下の竃にもう1基あり、その鉄湯釜の蒸気を室に満たしました。竃はどれも石製です。入浴時間は長い線香が燃え尽きるまでの20分程度、室には浴衣を着て入り、1人が使える湯の量は湯桶に3杯と決められていたそうです。

 見学者が他にいなかったことも、11時を過ぎていたのに玄関の鍵が内側からかかったままで、井戸のある庭から入ることになったのも幸いでした。
 明智風呂を見学後、法堂で執り行われている法要を見学、終了後、花園大学博物館で開催中の白隠展に足を伸ばしました。それにしても、湯水を使う浴室が大きな改修もなく270年使われ続け、その後90年経っているとは思えない保存状態には驚きました。

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