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20周年のデイ銭湯。施浴の歴史と変遷について語ります。
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浄福寺は赤門が有名ですけど、赤門でないほうの南門は1615年の中興以来の建築物です。その傍らに民家として使用されてきた建物があるのですが、浴室っぽいので住職に聞けば、やはり浴室。いつごろまで使われていたものかはわからないけど、薬草風呂であった聞いてますとのこと。薬草風呂といえば法華寺の浴室が有名ですけど、京都にも薬草風呂として伝わる風呂があったのは発見でした。

寛永5年(1628年)3月、新たに鐘を鋳造し、同年、方3間の鐘楼を建造した。また曽谷宗喝を施主として妙心寺浴室を模した桁行5間、梁間2間半の浴室を建立した。これら鐘楼・浴室と南門は笹屋町大火・西陣大火・天明の大火の災禍をいずれも免れた(『浄福寺事蹟』寛永5年条)。[1]

浄福寺釈迦堂は毎月25日が開帳日となっています。開浴日や施浴についてもわかりませんでしたけど、初期の明智風呂を知る上でも、大収穫でした。

注1 ^京焼,http://www.kagemarukun.fromc.jp/page006j.html (2018/9/25最終閲覧)
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