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20周年のデイ銭湯。施浴の歴史と変遷について語ります。
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寺院に付随する湯屋浴室を調べる中で、2003年に向日市で最古の湯屋遺構が発見された記事をみつけました。秋口に現地を訪れたのですが、あいにく向日市埋蔵文化財センターは休日、埋め戻された発掘現場を訪れ、文化資料館で報告書に目を通して帰りました。
 年明けの6日に、やっと埋蔵文化財センターを訪れ、梅本康広氏にお話を伺うことがことができました。
 宝菩提院・願徳寺廃寺湯屋跡の報告書が出てまもなく、和歌山でさらに時代を遡る湯屋遺構が発見されたそうです。というても、現在のところ、平安中期より遡る遺構はないとのこと。奈良時代の「資材帳」には湯屋浴室および湯釜が多数掲載されているものの、古代寺院の伽藍配置における湯屋浴室の場所が主要建物からかなり離れているため、発掘調査区域に含まれないということが未発見の理由として大きいようです。向日市で発見された宝菩提院・願徳寺廃寺の湯屋跡は、埋め戻し保存となったそうですが、遺跡の下層にも焼け跡が認められ、遺構保存のためそれ以上は掘らなかったものの、同じあるいは近い場所に立て替えられた可能性もあるとのことでした。

梅本康広『古代・中世寺院の浴室構造とその変遷』(2013)
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